「自分が置かれた状況をポジティブに捉える」全盲のアスリートがたどり着いた、挑戦し続けるためのメンタリティー ブラインドサッカー 川村怜


子どもの頃にサッカーをしていた少年が、視力を失いプレーができなくなる。成長して視覚障がい者のサッカーに出会い、葛藤の末に再びフィールドへと戻る。日本のブラインドサッカーの第一人者、川村怜の決断。彼はこれまでどのように人生の困難と向き合い、それを乗り越えてきたのか。川村が築き上げてきたメンタルは、あらゆる人にとって、生きる上での大切な気づきを与えてくれる。


川村怜(かわむら・りょう)のプロフィール
1989年生まれ。ブラインドサッカー(視覚障がい者サッカー)の日本を代表するストライカー。5歳の頃に目の難病を患ったことが原因で視力が低下していき、2013年に全盲となる。競技は07年、筑波技術大学時代に始めた。所属するパペレシアル品川では立ち上げに尽力するとともに、チームの代表を務めている。

目の前の状況をポジティブに捉える


「アスリートにとってのメンタル」というテーマで話を聞き始めると、川村はこれまで学んできたメンタルトレーニングの考え方をベースに、とてもロジカルかつ明確に、自身が考える心の強さについて説明してくれた。



―自分自身で、メンタルは強い方だと思いますか?


メンタルが強いか弱いかはあまり考えません。心理的柔軟性という言葉が好きで、物事をどう捉えるかが大事。物事に柔軟に対応できればポジティブな考えに行きつくし、行動にも良い影響を与えます。大事なのは柔軟な心を持つこと。『ポジティブリフレーミング』という言い方をしますが、都合の良いように解釈できれば自分が楽になれるのです。つまり、物事の捉え方が自分にとってのメンタルの強さです



―ポジティブなメンタルはどのようにして身につけたのですか?


自分の生まれ持った性格的に、もともとポジティブな部分はあったと思います。視力が低下していくという現実と向き合う過程で、自分に何ができるか客観的に捉えられるようになっていきました。さらに、2014年に出会ったメンタルトレーナーにコンサルティングしてもらい、自分の考えなど頭の中を整理する方法を教わりました。思考をクリアにすることで、目の前の物事にポジティブに対処できるようになっていったと感じています。フィールドでもすごく冷静でいられようになりましたし、あらゆる面で自分をコントロールする能力が上がりました。



―プレッシャーや緊張にはどのように向き合っていますか?


前提として、プレッシャーを感じたり緊張したりするのは良いことです。良いパフォーマンスを発揮するために、緊張は必要だと思っています。その緊張をどうコントロールするか、どう捉えていくかによってパフォーマンスが変わってくる。ドキドキしたり、不安になったりしますが、そういう時こそ、実は五感が研ぎ澄まされているという風に捉えています。試合の中で集中力が高まる感覚です。良いパフォーマンスを発揮するためのスイッチが入ってきた証拠だと捉えることで、緊張はすごくポジティブなものになります。もちろん、時には緊張しすぎてしまうこともあるかもしれませんが、捉え方次第で緊張は必ずコントロールできると思っています。



自分の人生を受け入れる


少しずつ視力が弱まり、昨日までできたことが明日にはできなくなる。川村は子どもの頃からこの現実と向き合う中で、自分の置かれた状況を再定義し続けてきた。見えないからこそ見えてくる景色と世界観に気づいたことで、彼の人生は大きく開けていく。



―子どもの頃、視力が弱まっていくという状況で、どのようにメンタルを保っていたのですか?


6歳の時にサッカーを始めたのですが、視力が低下してプレーできなくなりました。周りの友達と比較してやりたいことができなかったり、我慢しなきゃいけなかったりすることが多く、視力というハンディキャップを実感する瞬間がたくさんありました。そんな時に自分と向き合い、自分に与えられた人生には何か意味があるのではないか、どんな状況でも何か自分にできることがあるはずだ、と考えることで困難を乗り越えることができました。



―大学で本格的にブラインドサッカーを始めるきっかけは何ですか?


子どもの頃にサッカーをプレーできなくなったのですが、サッカーに対する憧れはずっと持っていて、サッカーがやりたいと思っていました。大学でブラインドサッカーという競技を知って、最初に見学させてもらった時に衝撃を受けました。アイマスクをつけた選手がドリブルで敵をかわして、目が見えるゴールキーパーからゴールを決めるのです。ゴールを決める姿に本当に心が動きましたし、その感動を自分もプレーで伝えたいなという思いを抱きました。



―視力を失うことで、代わりに得たものは何でしょう?


ブラインドサッカーと出会い、本気でやるようになって、自分の中の感覚的な部分が養われていきました。本来は何も見えないはずなのに、自分にしか見えない景色というか自分だけが感じる世界観というものに気づくようになったのです。その感覚は、自分の人生においてすごく大きな意味を持っています。

例えば、僕が小学生の頃、まだ目が見える時にサッカーをやっていた時よりも、明らかに広い視野でピッチ上の敵・味方・空間を認知してプレーできている感覚があるのです。本当は見えないはずなのに、視野が拡大してプレーの幅も広がる。トレーニングにより自分の感覚が養われて、頭の中でよりレベルの高いサッカーができるようになっているという実感があります。

見えない恐怖を乗り越える


目が見えないアスリートがコンタクトを伴うスポーツをプレーするのは、とても困難なことだ。だが川村は、自身の人生と同様にあらゆる試練を克服してきた。その裏には、日の丸を背負うプライドと独自の思考法が存在していた。



―目が見えない中でプレーする恐怖心はないのでしょうか?


競技を始めた当初はありました。目が見えない中、全力で走ること自体がとても怖いですし、ブラインドサッカーはフィジカルコンタクトが激しいスポーツなので、身体をぶつける恐怖心もありました。だからピッチに立つ以上は覚悟が必要になります。

中途半端に取り組むと後悔すると思ったので、やるからには本気の覚悟を持ってピッチに立とうと思いました。その覚悟が保てない時期があって、半年ほど競技を離れました。そこで、やっぱり自分はサッカーが好きだということに気づいて、以前よりもさらに強い覚悟を持ってフィールドに戻ることができました。



―サッカーが好きという気持ちの他に、覚悟を支えているものはありますか?


日の丸を背負って、国を代表して戦うという強い気持ちが、恐怖心を克服して自分の身体を動かしてくれていると思います。サッカーなのでこのボールをいかに大事に扱うか、ボールを奪って相手ゴールに攻めていけるかという責任感のようなものが大切になります。その気持ちを支えてくれるのが、国を背負って戦うという覚悟。その覚悟さえあれば、恐怖心を超えてフィールドで身体を張り、どんな強敵にも挑んでいけると思います。



―目の前の苦しいことから、逃げ出したくなることはないですか?


自分が決めたことはやり切る。険しい道と楽な道があれば、険しい道を行くと決めています。目の前に二つの道があったとしても、楽な方の道はそもそも選択肢にないという感覚です。選択肢があるから、今日は楽な道に行きたいという誘惑が生まれる。自分の中で道は一つだと決め切ることができれば、そこを行くしかないので逃げようがなくなるのです。そんな風に、ある意味で自分を錯覚させて逃げ道をなくしていくことで、成長することができました。



勇気を与えるきっかけになりたい


この世に生を受けたからには、自分の人生に意味を見出したい。多くの人がそう考える中で、川村にとっての生きる意味の一つが、困難と立ち向かう人々に勇気をもたらすこと。

未来を信じる彼の信念と生き様は、希望の光となる。



―障害を持つ子どもたちに対して、影響を与えたいという思いはありますか?


ブラインドサッカーに限らず、日本で障がいを持つ子どもたちがスポーツをする機会はまだまだ少ないと思います。自分が、目が見えなくてもこんなに走り回って動ける、サッカーができると示すことで、彼らに勇気を与えたいです。また、障がいを持った子どもたちに限らず、スポーツを通じて勇気や感動、戦う姿勢を感じてもらうことで、多くの人にとってポジティブな行動を起こすきっかけになれればと思います。



―具体的にどんなプレーを見てもらいたいですか?


自分の好きな言葉に「極める」、「究極」というものがあります。何かを極めていくことによって、信じられないようなパフォーマンスを発揮することができる。ブラインドサッカーで言うと、目の見えない選手たちがまるで見えているかのような動きをすることがそれにあたると思います。そういうプレーを見てもらうことで、大変な時代を生き抜くヒントになるようなものを多くの人に感じてもらえるのではないかと思っています。



―川村選手にとって生きることとは?


物事には全てに意味があるという風に考えています。良いことも悪いことも含めて、どんな出来事についても何かの意味があると捉えていて、自分が経験してきたあらゆる困難も同じです。その瞬間は辛かったり、嫌な思いをしたりすることがあるかもしれないですが、これから先の人生に通じる何か意味のある出来事だと思うのです。だから大変なことがあったとしてもグッと耐えて、先の未来を信じて今を生きています。




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